鮫島正洋=内田・鮫島法律事務所 代表パートナー 弁護士・弁理士

 筆者は小学生の頃、ニューヨークで暮らしたことがある。船会社に勤務していた父の赴任先がたまたまニューヨークだった、というだけの理由であるが、いわゆる帰国子女である。

 帰国子女のキャリアは2つに分かれる傾向にある。滞在地に魅力を感じ、一生縁を持ち続けることを選択するタイプと、外から見た日本の良さに気づき、祖国に傾倒していくタイプである。前者の多くは一旦帰国するも、多くは数年後に留学という形で再渡米し、現地の企業に就職するなど、何らかの形で関わり続ける。

 筆者は後者であった。12歳で帰国するも、それ以来、米国に行きたいとは全く思わなかった。もう十分だ、という感覚である。日本の同級生の多くは米国の文化に憧れてロックにハマったが、筆者はかぐや姫や井上陽水といったフォークソング(邦楽)を好んだ。中学時代から入部した野球部では、当時の精神主義と坊主頭の風土に没頭した。人並み以上に英語は堪能だったが、これを生かした仕事に就くという発想もなく、たまたま少しだけ得意だった理数系の道を選んだ。それが後年、知財のキャリアをつくる礎となるのであるが、そんなことはその当時はもちろん想像もしなかった。

 社会人になって違和感を覚えたのは、同世代の日本人が西洋人に対して持つ、いわれなきコンプレックスだった。帰国子女の立場からすると、小学生当時机を並べていた連中が大人になっただけで、格別彼らの方が優秀ですごいという感覚はなかったので、コンプレックスなど持ちようがない。それが違和感の原因である。

 さて、イントロが長くなったが、この10連休、10年ぶりにニューヨークを訪問した。

 相変わらず「米国は自由の国」という国家理念を強調している。多感な時期に米国で教育を受けた身として、10年前ならば「そりゃそうだ。かつて、母国から弾圧されたピルグリムたちが自由を求めてアメリカという新天地に来たんだろ」としか感じなかったこの台詞(セリフ)であるが、この数年、イノベーションに関わるようになった身として聞くと、この台詞には格別の感慨を覚える。

ブルックリン側から架かる橋の上でマンハッタンを臨む
(写真:筆者)
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 米国という国は常に新しいものを生み出し続けてきた国である。本来、国として成功すると、どこかのアジアの島国のように、いつのまにか保守的になり、リスクを取らなくなるものだが、米国にはその萎縮感はない。常にトライアル&エラーを容認し、新しいものを生み出そうとするプロセス・結果に対して正当に評価しようとし続けてきた国。だから、かつて日本製品に敗退した時に、バイオとインターネットという全く新しい産業を創り出すという、奇跡的な巻き返しを達成できたのだ。

 今回の旅では、「米国は自由の国」というスローガンがこのエネルギーの源泉であることに気づかされた。筆者自身も体験したように、米国人は幼い頃からこの考え方を徹底的に叩き込まれる。それは銃の所持を許すがあまり乱射事件に至るなど、時として暴走することもあるが、総論としては、国民がより良き人生に向かって挑戦し続ける権利や環境を国家が保障するということに他ならない。言うまでもなく、それがさまざまなイノベーションを生み出す土壌となる。

 日本は真逆である。伝統と秩序を重んじ、個人の自由よりもコミュニティーへの献身を期待される文化である。それが悪いというのではない。ただ、幼い頃から米国とは真逆の教育を受けた日本人にとって、米国に習うなどということは大変無理がある、と言いたいだけである(余談だが、そういう観点からすると、敗戦時に制定された現憲法は米国流に過ぎる部分もあるかな、とは思う)。

 だとしたら、日本はイノベーションの領域で米国に勝てないのか?

 そうではない。日本人は他国からの情報を極めて制限的にしか受け取らなかった鎖国政策の時期にあっても、後年世界に誇れる歌舞伎や浮世絵のような文化(イノベーション)を生み出してきた。多くの日本人科学者によるノーベル賞受賞や、トヨタ自動車の「かんばん方式」にしてもしかりで、日本人のイノベーションを生み出すポテンシャルがグローバルに通用することは、多くの事実で証明されている。

 にもかかわらず、日本には自国の創造性(イノベーションを生み出す能力)に対する自信が足りない。なぜ自信を持てないのか。それは日本の良さである「謙譲による美徳」をもはや超え、国家的損失の原因となっている。イノベーションを生み出す能力に対する日本人の自信と信頼に立脚した上で、日本の風土文化に合ったイノベーション政策があってしかるべきだと思う。

 それが何なのか、筆者にも結論はない。ただ、米国流の資本主義は、米国の風土文化に基づく考えに過ぎず、これに過度に立脚しても無理が生じるだけで、日本にとって幸せな結論にはなりそうもない。そのことは、2000年頃、米国流のコーポレート・ガバナンス(企業統治)を導入した日本企業がことごとく成功しなかったことでも明らかである。

 日本が国内総生産(GDP)の上位国で一定程度の発言力があるうちに、日本人が考える21世紀型の国家競争力の在り方を発信すべき時期に来ている。日本にはそれだけの創造力があるのだから。