リーマンショックからはや10年。当時、日本の製造業の多くはボロボロ、特に総合電機メーカーを中心に過去の成長神話が崩れました。定年まで安泰だと思っていた40代、50代が将来を心配し、海外企業に続々転職する流れが出来上がりました。

 技術顧問やアドバイザーとして、破格の待遇で迎え入れられる。海外企業への転職は、良いことだらけのように思えます。しかし、現実はそんなに甘くありません。

 今回は、大手総合電機メーカーに勤務していたAさん(45歳)の転職の顛末を追ってみましょう。国内メーカーで課長兼技術者として仕事をしていましたが、ふとした縁で海外メーカーに転職しました。しかし、3年ほどで解雇されてしまいました。

好条件で海外企業に転職

 Aさんは国内メーカーに入社以来、技術者として第一線で働いていました。30代半ばを迎えた2000年ごろ、会社の業績低下によって所属先の研究所が閉鎖。取り組んでいた研究ができなくなりました。とはいえ、社内ではまだ技術にかかわれるポジションにいましたし、待遇面でも他の企業に転職する理由もありませんでした。

 そして2008年に、リーマンショックが起こります。台湾や韓国をはじめとする海外の総合電機メーカーの台頭により、いよいよ将来が不安になりました。景気が良くなれば新製品の研究開発ができるかもしれない、というかすかな望みもなくなりました。同じころ、海外製の携帯電話だけでなく白物家電までもが国内の量販店で売られているのを目の当たりにし、自身の今後について真剣に考え始めるようになりました。

 そんな中、ふとしたきっかけで海外転職の記事を目にしたAさん。それまで全く関心がなかった人材紹介会社の公開セミナーに参加してみることにしました。

 セミナーの対象はメーカー勤務の技術者、しかもテーマは海外転職。参加人数は少ないと思っていましたが、会場には自分と同じ40代かそれ以上の年代の参加者が100人以上集まっていました。年功序列の文化が根強い国内の製造業で働いていたAさんにとって、転職はハードルが高いことでした。転職セミナーに参加すること自体が不安でしたが、「同じ思いを持つ人がこれだけいるんだ」と分かり、それだけで安心してしまいました。

 セミナーで目にした求人は、驚くべきものでした。「年収2倍」「役員待遇」「住居費は会社補助」など、当時の国内企業の海外赴任でも考えられないような好条件だったのです。

 セミナーの参加者は、事前に履歴書を10枚以上作成していたり、エージェントの担当者に「面接のための渡航はいつするか」など前のめりな質問をしていたりしました。これを見て圧倒されると同時に、他の参加者の企業規模や企業名を雑談がてら聞き出して「自分もこれなら中の上くらいの企業に行ける」と転職成功を確信しました。

 実際にほどなく、海外の携帯大手に、技術顧問というマネジャー職で採用が決まりました。なんと、年収は従来の3倍です。「これで10年は安泰」と、妻や子供と一緒に渡航。しかし4年めを迎える前に、突然会社から解雇を告げられ無職となりました。