日経アーキテクチュアが4月23日に発刊した書籍「プレモダン建築巡礼」から、いくつかの記事をより抜いてご覧いただきます。今回は「建築」という言葉を日本に普及させた建築家、伊東忠太の設計で昭和2年(1927年)に竣工した一橋大学兼松講堂。建物内外におびただしい数の空想動物が埋め込まれたこの建築、1980年代後半に爆発的ブームを巻き起こした「ビックリマン・シール」を思い出させます。

所在地=東京都国立市中2-1 設計=伊東忠太 竣工=1927年(昭和2年) 交通=JR国立駅から徒歩6分 (写真:磯 達雄)
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 明治19年(1886年)に設立された造家学会は、明治30年に建築学会へと変わる。この名称変更を提案したのが伊東忠太である。翌年には東京帝国大学の造家学科(現在の東京大学工学部建築学科)も建築学科に改称。以後「アーキテクチュア」の訳語として「建築」という言葉が定着する。それを広めた張本人が伊東というわけだ。

 伊東は日本で最初の建築史家である。東京帝大で辰野金吾のもと建築を学ぶと、大学院では本格的な日本建築史の研究に進み、博士論文として「法隆寺建築論」を執筆。そして法隆寺の膨らんだ柱が遠くギリシャから伝わったものであるとの仮説を検証すべく、アジアからヨーロッパまでを横断する調査旅行に出掛ける。しかしそれを確かめることはかなわず、代わりに中国で雲崗石窟(うんこうせっくつ)(5世紀の石窟寺院)を発見したりもする。

 他方で伊東は、建築家でもあった。平安神宮(1895年)、明治神宮(1920年)などの神社建築のほか、日本初の私立博物館である大倉集古館(1927年)や珍しいインド風の寺院、築地本願寺(1934年)など、多くの建物で設計を手掛けている。

 特徴としてよく知られているのが、奇怪な動物の像を建物に取り付けること。震災記念堂(1930年、現・東京都慰霊堂)、湯島聖堂(1935年)、築地本願寺などにそうした動物が見られる。なかでもその数と種類が最も多いのが、今回、取り上げる一橋大学(旧・東京商科大学)の兼松講堂だ。

(イラスト:宮沢 洋)
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