「異能」ともいえる際立った能力や実績を持ち、まわりから一目置かれるエンジニアを1カ月に一人ずつ取り上げ、インタビューを掲載する。今月取り上げるのは、ベンチャー企業の立ち上げやヤフーでのモバイル開発などを手掛け、ソフトウエア開発業界に広い人脈を持つ荻野淳也氏。現在は珈琲専門 猫廼舎(ねこのや)という喫茶店の店主でもある。今回は、大学院在籍時代に入社した企業から、2人で立ち上げたベンチャー企業、ヤフー、コントロールプラスなど数々の企業を渡り歩いた経緯を聞いた。

(聞き手は大森 敏行=日経 xTECH/日経NETWORK


前回から続く)

 大学4年生だった1997年1月からプログラミングのアルバイトをしていたのが、デュオシステムズという会社です。当時、助手の先生が自主ゼミをしており、その先生が大学のときのサークルの先輩が会社を作ったということで紹介されたのです。コンピュータが好きな学生だと思われたようでした。早稲田にあったので、場所がら早稲田大学生のアルバイトが多い会社でした。

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 大学院の試験に受かって、1997年4月に同じ研究室の修士課程に進みました。勉強してみたら面白かったので、もう少しやってみるかという感じです。当時はまだ数学者になるものだと思っていました。大学院の間は、この会社のアルバイトで生活費を稼ぐつもりでした。

 最初はトヨタケーラムというトヨタ自動車の子会社で使われていた3次元CADの部品の一つを受託で作っていました。数学科だから数学はできるだろうということで、射影計算をしたり重心を求めたりハッシュ関数を作ったりしていました。下請けの地味な仕事です。米サンマイクロシステムズのワークステーションでC++で開発していました。

 そのCADはソースコードが260万ステップの巨大なシステムで、ビルドに5日かかっていました。それがUltraSPARCを載せた新しいマシンを買ったら半日や1日でビルドできるようになりました。新しいマシンを買ったらビルド時間がどんどん短くなる。そんな時代でした。

 デュオシステムズは様々な業務用システムの受託開発をたくさん手掛けていました。米ボーランドのDelphiや米オラクルのPro*C、米マイクロソフトのVisual Basic(VB)といった開発環境を使っていました。Pro*CはCの中にSQLを埋め込んで開発できるもので、VBに似たGUI開発環境を備えていました。このあたりから個々のプログラミング言語に対するこだわりはあまりなくなっていました。「来た仕事をやる」という感じです。

 一番好きな環境は、自分で購入したNeXTとそのプログラム言語のObjective-Cでしたが、そうしたものを使う仕事はありません。世間にはあったのかもしれませんが、当時はそれを知る方法はなかった。だから、NeXTやObjective-Cの知見を生かして他の言語で仕事をすればいいと思っていました。

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