「異能」ともいえる際立った能力や実績を持ち、まわりから一目置かれるエンジニアを1カ月に一人ずつ取り上げ、インタビューを掲載する。今月取り上げるのは、ベンチャー企業の立ち上げやヤフーでのモバイル開発などを手掛け、ソフトウエア開発業界に広い人脈を持つ荻野淳也氏。現在は珈琲専門 猫廼舎(ねこのや)という喫茶店の店主でもある。今回は、パソコンとの出会いから大学時代のソフト開発のアルバイト経験までを聞いた。

(聞き手は大森 敏行=日経 xTECH/日経NETWORK


 小学校3年生くらいのときにファミコンが出ました。当時からゲームを作る人に憧れがありました。「パソコンサンデー」という番組を見て、プログラマーの中村光一さんが話をしているのをぼんやりと見ていたのを覚えています。家にはファミコンはなく、友達の家に行ってファミコンで遊んでいました。

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 パソコンと出会ったきっかけは、小学校5年生のときに右手を骨折したことです。外で遊べなくなったから暇つぶしにファミコンを買うかと、両親と電器屋さんに行きました。ところがファミコンではなく「MZ-700」というシャープのパソコンを買ってしまったのです。値段が1万9800円でファミコンとファミリーベーシック(BASICが入ったカセットとキーボードのセット)を両方買うよりも安かったからです。721というモデルで、カセットテープのデータレコーダーを内蔵していました。画面はテレビにつないで映す方式でした。

 使い方がわからなかったので、書店に行って「Oh!MZ」と「マイコンBASICマガジン」(通称ベーマガ)という雑誌を買ってきました。そこに載っていたソースリストを打ち込んで動かしていました。

 MZ-700は、「クリーンコンピュータ」と呼ばれていて最初は何もできません。最初はモニターのプログラムが立ち上がるだけです。ROMにBASICが入っていなくて、まず3分間くらい待ってデータレコーダーからBASICを読み込まなければなりません。

 そうしたことも最初は全然わからなくて、全部手探りでやっていました。MZ-700用のプログラムはそんなにたくさん発表されていたわけではなく、すぐにネタが尽きてしまいます。他機種のプログラムを移植しようとしても、MZ-700はキャラクター表示しかできず、ドットグラフィックスの機能がありません。当時のNECや富士通のパソコンのプログラムを簡単に移植することもできませんでした。

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