「異能」ともいえる際立った能力や実績を持ち、まわりから一目置かれるエンジニアを1カ月に一人ずつ取り上げ、インタビューを掲載する。今月取り上げるのは、ゲーム開発環境「Unity」の日本での普及の立役者である大前広樹氏。以前はゲーム開発企業でプログラマーとして活躍していた。今回は大学進学・中退からJavaシステム開発、ニートを経てゲーム開発企業でゲームエンジンの開発に取り組み、Unityに出会うまでの紆余曲折を聞いた。

(聞き手は大森 敏行=日経 xTECH/日経NETWORK


前回から続く)

 高校を卒業したら大学には行きたくない、仕事をしたいという話を家族にしました。いろんなテクノロジーがあり、いろんなことを学ぶ必要があることはわかっていました。しかし、ゲームプログラマーとしていい仕事をするためにどんなテクノロジーが必要かは、1回働いてみないとわからないと思っていたのです。これ以上大学で基礎を勉強して知識を入力するよりも、「仕事で思いっきり出力してみたい」という気持ちのほうが強かった。

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 しかし家族との話し合いの結果、大学には行くことになりました。どうせ行くのだったらコンピュータサイエンスに強いところに行きたいということで、南カリフォルニア大学(USC)に入学してコンピュータサイエンスを勉強することになりました。

 高校も米国だったので、米国の大学にそのまま進む感じです。母親が米国人なので当時は米国籍があり、留学が楽なのでそれを生かそうという事情もありました。

 大学ではコンピュータサイエンスの勉強をしていましたが、少し退屈でした。当時はインターネットが面白くなってきていたので、Webページを作ったり、Linuxを覚えてサーバーホスティングを自分でやったりしていました。メールサーバーの立ち上げやDNSの管理にも挑戦しました。CGIアプリケーションを書いたりWebアプリケーションを作ったりして、プログラミングも楽しんでいました。

 日本ではまだテレホーダイの時代です。日本時間の夜10時くらいになると、日本の友達がネットにつないできます。それに合わせて「カウンターストライク」などのオンラインゲームで遊んだりしていました。

 米国ではブロードバンド回線を引いていたので、ネットワーク環境は快適でした。ただ、最初は大学の寮にいて、通信環境はよくありませんでした。通信速度は悪くないのですが、クラスCのネットワークだったのでIPアドレスが足りなくなるのです(注:クラスCでユーザーが利用できるIPアドレスは最大254個)。たまにIPアドレスが取れなくてネットワークからはじき出されたりしていました。今では考えられないですね。

 結局、大学は2年で中退してしまいました。「ここで勉強するのもいいけれど、やはり実践の場に出て手を動かしてから勉強するのでなければ納得いかない」という気持ちを抑えきれなくなったのです。

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