2003年(平成15年)1月にNECの社長交代が突然発表され、IT業界に衝撃が走った。中興の祖とされる相談役の解任騒動が伏線となった。個人情報保護法が成立し、住基ネットが本格稼働したのもこの年だ。

NECのトップ人事を発表する記者会見の様子。後任社長に内定した金杉明信専務(右)、佐々木元会長(中央)、副会長に内定した西垣浩司社長(左)
写真:共同通信
[画像のクリックで拡大表示]

 人気アイドルSMAPの「世界に一つだけの花」が大ヒットし、テツandトモの「なんでだろう」が流行した2003年。年明け早々の1月20日にNECの社長交代が発表され、IT業界に衝撃が走った。金杉明信専務が社長に昇格し、西垣浩司社長が副会長に就任する内容だ。西垣氏は任期満了での社長退任だが、そこに至る経緯が異様だった。

中興の祖と対立か

 西垣氏は前月の2002年12月に、当時相談役だった関本忠弘氏を解任していた。関本氏はNECの社長や会長を歴任し、同社の中興の祖と言われた。

 NECは広報資料で、解任理由を「現執行部を批判する対外的な言動が当社の業務執行に好ましくない影響を与えている」と明記した。日本を代表する大企業が確執を理由に相談役を解任するのは極めて異例だった。

 西垣氏が社長を退いたのは、その衝撃も冷めないタイミングだった。日経コンピュータは2月10日号で、西垣氏が「2期4年を全力で務めてきたため体調を崩した。今後の経営改革とグループ経営の両方をこなすのは困難と判断した」と記者会見で発言したと報じた。記者の「関本氏の解任騒動に伴う引責辞任ではないか」との見方を西垣氏は否定した。

 関本氏は1980年から1998年まで社長および会長を務め、NECのトップに君臨し続けた。PC「PC-9800シリーズ」を中心とするコンピュータ事業やDRAMなどの半導体事業を主軸に、NECを世界的なIT企業に育て上げた。社長就任時に1兆円に満たなかった売上高は急拡大し、2001年3月期に同5兆4097億円と5倍超に達した。

 関本氏は1998年10月に会長を辞任した。防衛庁(当時)の調達を巡る背任事件の責任を取った形だ。1999年3月に社長に就任した西垣氏はDRAM事業を本体から切り離し、ロケットのような形をした外観が話題にもなった東京・三田の本社ビルを証券化して売却するなど大胆なリストラを進めた。西垣氏は関本氏が築き上げたものを壊すかのように動いたため、両者の不信感が深まったとみられる。両者の退任を「相打ち」と見る向きもあった。

この先は有料会員の登録が必要です。有料会員(月額プラン)は初月無料!

日経 xTECHには有料記事(有料会員向けまたは定期購読者向け)、無料記事(登録会員向け)、フリー記事(誰でも閲覧可能)があります。有料記事でも、登録会員向け配信期間は登録会員への登録が必要な場合があります。有料会員と登録会員に関するFAQはこちら