2000年(平成12年)、米国で発生したネットバブルの波が日本に押し寄せた。国産IT3社は北米で苦戦、日立製作所と富士通はメインフレーム事業から撤退した。

2000年3月27日、日経平均株価は1997年7月以来の高値を付けた
写真:ロイター/アフロ
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 シドニーオリンピックでマラソンの高橋尚子選手が五輪最高記録で金メダルに輝いた2000年。米国のITバブルが日本に波及し、投資ブームに乗ってインターネットを活用したベンチャー企業が相次ぎ登場した。一方で日立製作所や富士通は北米におけるメインフレーム事業からの撤退を強いられるなど、時代は転換期を迎えていた。

富士通の株価が最高値5030円に

 20世紀最後の年、日本はIT関連銘柄を中心とした投資ブームにわいた。いわゆるネットバブル(インターネットバブル)である。

 ソフトバンクや1990年代半ばに誕生したヤフージャパン、オン・ザ・エッジ(現ライブドア)といったネット企業がブームをけん引した。1月4日、日経平均株価は2年4カ月ぶりに1万9000円台に乗った。好調さは続き、4月に日経平均は2万円を超えた。

 富士通もこの波に乗り、1月に株価が最高値の5030円に達した。現在の株価(約800円)の6倍以上だ。証券や銀行と提携し、ネット上の金融サービスに乗り出したのを株式市場が評価した。楽天やサイバーエージェントもこの年に上場を果たした。

 ネットバブルは1990年代半ばに米国で始まった。インターネットの利用拡大やPCの普及により、ITを活用した新規ビジネスへの期待が急速に高まった。「第2のビル・ゲイツ」を目指すベンチャーが続々と名乗りを上げた。

 ブームに乗って、事業内容を理解せずに投資する者も出てきたという。利益を出せるか分からない企業でも「インターネット」という言葉を使っていれば膨大な資金を調達できる、まさにバブルの状態だった。

 日本も同様の流れをたどった。米ナスダックが大阪証券取引所と共同でナスダック・ジャパン(当時)を設立したことも投資ブームを加速させた。

IT関係者2000人でパーティー

 時代の象徴と言えるのが「ビットバレー」だ。渋谷すなわちビターバレーとビットを組み合わせた造語で、東京・渋谷を中心としたインターネット関連ベンチャーが集積するエリアを指す。1999年3月にネットエイジ(現ユナイテッド)の西川潔社長(当時)らが、インターネットの威力を活用して有能な起業家の輩出を目指した「ビットバレー構想」を打ち出したのがきっかけだった。

 2月には六本木のディスコ「ヴェルファーレ」でビットバレーの会合「BitStyle」を開催。2000人を超えるIT関係者が集まった。ダボス会議に参加していた、ソフトバンクの孫正義社長は飛行機を3000万円でチャーターして駆けつけた。

 ソフトバンクが500億円、 光通信の子会社である光通信キャピタルが331億円、京セラや米ゴールドマン・サックスが300億円──。国内のインターネット関連ベンチャーを対象とした投資ファンドの金額だ。ベンチャーへの期待の大きさを示している。

 日経コンピュータは2月14日号でサイバーエージェントなどビットバレーの注目企業を紹介。同時に「海外に比べて、人材や彼らを支援する環境は未熟」といった課題を指摘した。

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