1992年(平成4年)、IT業界に君臨した「巨像」米IBMが巨額な赤字決算に陥った。企業ITの時代はメインフレームからオープンシステムへの転換期を迎え、PCでも米アップルなどオープン勢の台頭が目立った。

米IBMのジョン・エイカーズ会長
写真:共同通信
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 自由民主党の金丸信副総裁(当時)が佐川急便から5億円のヤミ献金を受け取った「東京佐川急便事件」が日本政界を揺るがした1992年。翌93年の自民党分裂や55年体制の終焉につながる変革期を迎えていた。

 変革の波は世界のIT業界にも押し寄せた。米IBMが決算で巨額の損失を計上したのが象徴だ。メインフレーム最大手のIBMによる一強支配が終わり、主役はオープンシステムやPCへと移り始めた。

3年間で150億ドル超の赤字

 IBMが1992年度決算で計上した純損失額は49億6500万ドル(当時の為替レートで約6200億円)。メディアは「米産業史上、最大規模の赤字」と報じた。

 業績悪化の主因はメインフレームの需要後退だった。同期のハードウエア売上高は前年度比20%減と落ち込み、総売上高は同11%減。さらに人員削減と設備廃棄に伴うリストラ費用として72億ドルを一括計上したことで、巨額の赤字に陥った。

 メインフレームの不振は既に前年の1991年度決算に表れていた。同年度のハード売上高は前年度比15%減。営業利益は黒字だったがリストラ費用を一括計上したために28億2700万ドルの純損失となった。

 日経コンピュータは1月27日号で91年度決算に関して「収益源となるハード販売が上向く兆候は今のところ見られず、“超優良企業”IBMにとって極めて深刻な事態である」と報じた。IBMは1993年度も赤字が続き、91年度から93年度までの3年間で150億ドルを超える赤字を計上した。

 IBMがメインフレームを製品化したのは1952年のことだ。当初は米ユニバック、米バローズなどと競う一角だったが、1964年に発表した「System/360」シリーズが成功を収め、メインフレーム市場で確固たる地位を築く。IBMとその他のメーカーを指して「IBMと7人の小人」という言葉も生まれた。IT業界における「64年体制」はここから始まった。IBMの巨額赤字は64年体制の終わりを示していた。

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