1987年(昭和62年)、富士通と米IBMによるメインフレームOSの知的財産権をめぐる長年の紛争に区切りが付いた。「PC/AT」互換機の日本語対応も本格始動、PC普及に向けた萌芽となった。

富士通と米IBMの著作権紛争で米国の国際仲裁協会(AAA)がニューヨークから衛 星中継で会見した。ホテルオークラの特設会場には多くの記者が詰めかけた。
写真:読売新聞/アフロ
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 「この味がいいね」と君が言ったから──。俵万智氏の歌集「サラダ記念日」がベストセラーとなった1987年。その後30年のITの行方を左右する出来事が相次いだ。富士通と米IBMの知的財産権に関する紛争に区切りが付いたのが典型だ。IBMのPC「PC/AT」互換機の日本語対応も本格化し、PCの普及に向けた地ならしが始まった。

日米間の著作権紛争に決着

 富士通とIBMの紛争はメインフレーム用OSの著作権をめぐるものだ。IBMのメインフレームOSと互換性を持つOSを搭載した互換機ビジネスを展開していた富士通に対し、IBMは知的財産権の侵害を訴えた。日立製作所と三菱電機の社員がFB(I 米連邦捜査局)に逮捕されたIBM産業スパイ事件と根は同じだ。

 富士通がIBMから知的財産権に関するクレームを受けたのはさらに5年前の1982年に遡る。両社は秘密交渉の末、1983年に和解。IBMはクレームを放棄する代わりに、富士通から高額の対価を受け取ったとされる。

 しかし和解契約に曖昧な箇所があり、両社の見解の隔たりも大きく、紛争が再び表面化。IBMは米国仲裁協会(AAA)に仲裁を求めた。 AAAが仲裁命令を下したのは1987年9月のことだ。ニューヨークと東京を衛星通信で結び、テレビ記者会見を開く異例の対応だった。

 AAAは富士通が契約に違反したとして、和解金の支払いを命じた。互換OSの開発に必要な資料は第3者の管理下で有償で参照できるとした。IT史上最大級といえる両社の紛争はこれで事実上、幕引きとなった。

 一連の動きを報じた日経コンピュータは10月12日号で「実践的な解決方法をつくり出した」と仲裁命令を評価しつつ、「著作権の保護範囲について議論が不十分だ」と課題を指摘した。

 AAAは1988年11月に最終裁定を下し、紛争は決着した。だがその後オープン系サーバーが主流となるとともに、富士通はメインフレームの互換機ビジネスを縮小していく。

PC分野で互換機ビジネスが始動

 1987年にはメインフレームではなくPCの世界で新たな互換機ビジネスが日本で始動した。旗振り役は10月に設立された「AX協議会」。マイクロソフトが主導し三洋電機やシャープ、三菱電機などが参加。PC/AT互換機の日本語化を目指した。

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