エンタメを追求すべく吉本興業へ

 慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科でメディアデザインを学んだ高橋社長は、学部生時代から「柔らかいインターフェース」をテーマに作品を作り続けていた。その過程で、次第に「柔らかくてライブ感のあるマシンを作りたい」という思いが強くなっていったという。そうした思いをかなえるコンテンツが“拍手”だった。「拍手は世界共通のコミュニケーションツールで、舞台や音楽といったエンタメとの親和性も高い」(高橋社長)というのが大きな理由だが、元をたどれば吉本興業で培った“笑い”の追求が根本にある。

 そもそも高橋社長が目指すもの作りは、飽くなきエンターテインメントへの欲求が原動力だ。大学の修士課程で「握ると音が鳴るマシン」などエンタメ色の強い作品を手がけていた高橋社長は、2008年4月、「もっとエンタメを学びたい」という思いが高じて、大学院に籍を置きながらなんと吉本興業のタレント養成学校「NSC(吉本総合芸能学院)」に入学する。

 NSCでは構成作家コースを選択した。コントを作っては講師からダメ出しをされる日々は、ビッグクラッピーの開発とは無関係に思えるに違いない。しかし、笑いを学んだことによって高橋社長の中で「エンタメ属性の高いマシンを作りたい!」という思いが強まり、やがて“拍手”という格好のコンテンツにたどり着くことになる。さらにNSCに在籍していたことが、後にビッグクラッピー実現につながる幸運の連鎖へと導く。

 2009年4月、NSCを1年で中退した高橋社長は、博士課程でも拍手マシンの研究を続けた。その際に肝となったのは見た目と音のリアルさだった。リアルな拍手音を求めたのは、自然な音で人を引き付けるため。そこで、拍手する手型自体も限りなく本物に近づけることにした。

 拍手マシンは「音手(おんず)」と名付けた。最初に取り掛かった「音手」の零号機では、「手の肉と肉がぶつかった音を出せればいい」(高橋社長)と考え、関節の動きを重視した。手から肘までの骨と関節の形状を鉛で再現し、それを空気圧シリンダーに直接つなげて動かしたところ、関節の動きによるしなりによっていい音が鳴った。しかし、鉛の重さに骨組みが耐えられず、指がすぐに破損してしまうなど耐久性に問題が生じた。

鉛で再現した骨と関節(画像提供:バイバイワールド)
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2009年、研究室で初めて拍手マシンの稼働に成功した。指や関節まで完全に再現するも耐久性が不足しておりすぐに指が破損した(画像提供:バイバイワールド)

 そこから1年をかけて改良を重ね、初号機を開発。最大のポイントは関節をなくしたこと。さらに骨をアルミ製にして軽量化を図った。また、空気圧シリンダーに腕部分を直結するのではなく、間にリンク機構(回転運動を手をたたく動きに変換する仕組み)を用いてシリンダーとつなげた。

 軽量化によって耐久性は増したが、関節を除去したためリアルな拍手音に欠かせない“しなり”がなくなった。そのため、拍手音を得るには左右の手型同士をしっかりたたき合わせることができるよう、手型自体の形状を考え直さなければならなかった。高橋社長は自分の手が拍手する瞬間の指の伸びや角度、手のひらの形状などをつぶさに観察し、理想的な手の形を模索した。

 手型の製作も一苦労だった。理想の手の形を保ったままアルジネート印象材(歯科医が歯型を取るのに用いるブヨブヨとしたゼリー状の素材)に肘まで突っ込み、固まるまで10分ほど待つ。手を抜いて空洞化した印象材の型の中に石こうを流し込む。肘まで一体化した石こう型を“手”と“手首から肘”の2つのパーツに切り離し、表面を整える。これでやっと1つの手型が完成する。

 続くパーツ作りには“企業秘密”が隠されている。石こうの手型を甲と手のひらで半面ずつに分けてさらに型を取り、それを合わせてウレタンゴムを流し込む。その際に骨格を挟み込むのだが、これが「門外不出の特殊な技術」(高橋社長)なのだと言う。

 こうして冒頭で紹介したインスタレーションの拍手マシンやビッグクラッピーの原点となる、リアルな音を鳴らす拍手マシンが生まれた。

指や関節をなくした初号機(2010年)。他にも素材や形状、機構を改良し耐久性を高めた(画像提供:バイバイワールド)
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吉本と組んで“おもちゃ”開発

 そんなある日、研究室にこもりっきりで拍手マシンを作り続けていた高橋社長は、担当教授から「面白そうなものを作っているようだから発表しなさい」と言われた。そこで、2台の拍手マシンを並べ「幸せなら手をたたこう」の音楽に合わせて手拍子を打たせたところ、会場に大きな笑いが巻き起こった。その瞬間、高橋社長は拍手が持つエンタメ適性の高さを再認識した。

「幸せなら手をたたこう」の曲に合わせて手をたたく「音手」