20世紀を代表する米国人建築家の1人、シーザー・ペリ氏が2019年7月19日、米ニューヘブンで家族に見守られながら92歳で息を引き取った。イエール大学の教壇にも立ち、建築家と教育者の顔を併せ持つ人物だった。

米ニューヘブンにあるペリ・クラーク・ペリ・アーキテクツのオフィスで、日経アーキテクチュアの取材に応えるシーザー・ペリ氏。2015年に撮影。19年7月19日正午(米国時間)に亡くなった(写真:檜佐 文野)
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 同氏はアルゼンチンで1926年に生まれ、米イリノイ大学に進学。エーロ・サーリネン(1910~61年)の設計事務所に勤務した後、グルーエン・アソシエーツでパートナーを務めた。77年、米国でシーザー・ペリ&アソシエーツ(現、ペリ・クラーク・ペリ・アーキテクツ)を開設した。

 主な実績には、米ニューヨークの「ワールド・フィナンシャル・センター」(現在は「ブルックフィールド・プレイス」、1988年完成)や、マレーシア・クアラルンプールの「ペトロナスツインタワー」(98年完成)など超高層ビルを中心に数多くのプロジェクトがある。個々の建築は、より良い街を実現するための一助であるべきだ、というペリ氏の設計思想は、サーリネンの影響が大きい。

米ニューヨークで1988年に完成した「ワールド・フィナンシャル・センター」。現在は、「ブルックフィールド・プレイス」に名称を変更している。階段状に4棟が連なる(写真:ペリ・クラーク・ペリ・アーキテクツ)
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 日本で初めて手掛けたのが、在日アメリカ大使館(76年完成)だ。本格的に日本進出を始めたのは90年ごろ。91年には、「シーホーク ホテル&リゾート」(福岡市、95年完成)や、「NTT新宿本社ビル」(現・NTT東日本本社ビル、東京都新宿区、95年完成)の設計が進んでいた。当時、ペリ氏は米国事務所のスタッフだった光井純氏にこう語りかけた。「日本は建築の現場でいろんなことが勝手に変わる。ジュン、日本に行ってほしい」

1993年ごろ、「シーホーク ホテル&リゾート」の現場で撮影。左に写るのが、ダイエー創業者の故中内功氏で、中央がペリ氏(写真:ペリ・クラーク・ペリ・アーキテクツ・ジャパン)
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NTT新宿本社ビルの外観。建物は1995年に完成。NTTファシリティーズが監修した(写真:門馬 金昭)
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 ペリ氏が不安を抱いたのは、それまでに日本で手掛けた建築で、鉄筋コンクリート造でデザインしていたにもかかわらず、建設会社がペリ氏に断りもなく鉄骨造へ設計を変更したことがあったからだ。「日本には丹下健三や槇文彦、安藤忠雄などの建築家がいて、建設技術のレベルも高い。だから、特にちゃんとつくりたい」と語っていたという。

 光井氏は帰国後、日本事務所としてペリ・クラーク・ペリ・アーキテクツ・ジャパン(PCPAJ)を94年に立ち上げた。そのころ日本はバブル崩壊に突入し、多くの海外建築家が日本から撤退していた時期だった。だが、PCPAは残ることを選択した。

 「森ビルの森稔さん(当時社長)がペリの展覧会に訪れるなどして、愛宕グリーンヒルズの設計契約を94年に結んだ。大型案件がいくつかあったので、事務所を続けることができた」と光井氏は振り返る。ペリ氏は日本で、「国立国際美術館」(大阪市、2004年完成)や「あべのハルカス」(大阪市、14年完成)など、全部で約20件のプロジェクトを手掛けた。

東京都港区で2001年に完成した「愛宕グリーンヒルズ」(写真:黒住 直臣)
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大阪市で2004年に完成した「国立国際美術館」(写真:黒住 直臣)
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