2017年の台風の被害を受けて稼働を停止した大水車(大分県佐伯市)の改修で、白羽の矢が立ったのが野瀬建設(福岡県久留米市)の野瀬秀拓代表だ。家大工から30歳で水車大工へと転身。以降、40年近く国内外の水車の建造や修理を手掛けてきた。野瀬氏に、水車造りを通して後世に伝えたい「ものづくり」の醍醐味を語ってもらった。

上空から大分県佐伯市にある大水車を見下ろす。台風被害で1年間稼働を停止していたが、野瀬代表による大改修を経て、2018年10月に復活した。手前は番匠川(ばんじょうがわ)(写真:イクマ サトシ)
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野瀬代表。後ろは自身が造った福岡県久留米市の一ノ瀬親水公園の動力水車。水車小屋の中には、屋外の水輪と連動して動く歯車やシャフト、きね2本と挽臼1基がある(写真:大井 智子)
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約40年間で200基余りの水車(以下は、野瀬氏の談話)

 家大工から水車大工になったのは30歳の時。福岡県のある飲食店のディスプレーで、水車大工の故・中村忠幸師匠が造った直径6mの水車を目にしたことがきっかけだ。住宅の木は動かないのに対して、大きな木が回る水車にすっかり魅せられた。それからは中村師匠が福岡県八女地方に造ったたくさんの水車を見るために、方々を巡った。

 さらに、「水車のことを教えてください」と、一方的に師匠に懇願した。とにかく水車が造りたくて、1年目には自分で水車の模型を作製したほどだ。師匠の元に何年も通ううちに、少しずつ水車場で簡単な修理をさせてもらえるようになった。ようやく水車の製作を任されたのは、水車大工10年目の時だった。

 30歳で水車大工になって現在までの約40年間、国内外で200基以上の水車の製作や改修を手掛けてきた。海外ではカンボジアやラオスに出向いた。水車の設計図を描き、現地の職人に水車造りを指導したこともある。

 中村師匠が造った水車が多数ある八女地方には、水輪や水路による原動機部分を、歯車やシャフト、きね、臼などの作業機部分と連動させ、スギの葉を潰して線香の原料を作る動力水車が昔から使われてきた。最盛期には13基の水車があったが、中国から安い線香の粉が輸入されるようになり、これらの水車は次々と姿を消した。現在は2基だけ残る。

野瀬代表(右)と師匠の中村忠幸氏。動力水車の作業機部分となる歯車を製作しているところ(写真:野瀬建設)
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40歳の頃の野瀬代表。部材の使い回しで水車を製作した(写真:野瀬建設)
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