今年81歳となる香山壽夫氏。東京大学工学部建築学科に入学したのは、丹下健三設計の旧東京都庁舎や香川県庁舎が完成した頃。丹下氏を旗振り役とするモダニズムが脚光を浴びるなか、その潮流に乗れない自分に気が付く。大いに悩み、禅寺で古建築のスケッチを繰り返す日々もあった。そんななかで、偶然目に留まったルイス・カーンのドローイングが、香山氏に人生の転機をもたらした。(全3回のうちの第1回)

香山壽夫氏(写真:花井 智子)
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 戦前の1937年に生まれた香山氏は、子どもの頃に戦中期・戦後復興期を迎え、1956年に大学へ進学する。なぜ建築学科を選んだのか。

 ドラマチックな理由は何もありませんが、生い立ちが少し関係しているかもしれません。僕は満州の新京という街で育ちました。新京は、当時の気鋭の建築家や都市計画家たちが結集してつくった、世界でも最先端の近代的な都市でした。建物は鉄筋コンクリートでつくられ、並木道が整然と敷かれ、公園もたくさんある、きれいで緑豊かなところだったのです。

 そんな環境で育ったものですから、戦後、日本に戻ったら、「こんなに汚いところか」と(笑)。新潟にある母方の実家にあたる古い民家(渡邉家、国指定重要文化財)で過ごしたのです。今思えば、立派な民家なのですが、そのときは新京とのギャップを感じてしまいました。そのときの感覚が、後に建築学科を選んだことと、潜在的に関係しているかもしれません。

香山氏が子どもの頃を過ごした渡邉家の外観。国指定重要文化財であり、「日本の民家 第6巻 北陸路」(撮影:二川幸夫、文:伊藤ていじ、1959年)にも掲載されている(写真:香山壽夫建築研究所)
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渡邉家の内観(写真:香山壽夫建築研究所)
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 そんな感じで、建築家という職業をあまりイメージできていませんでしたが、大学入学後は、やはり輝かしい存在として丹下健三さんがいて、建築家になりたいと思いました。ちょうど、有楽町の旧東京都庁舎(1957年)や香川県庁舎(1958年)ができた頃でした。

 ただ、太田邦夫さんや原広司さんなど僕よりひとつ上の学年くらいから、丹下研究室に行きづらいと感じる人たちが増えていたと思います。というのも、磯崎新さんや黒川紀章さんなどのそうそうたるメンバーがすでに結集していましたから、今さら入っても……という雰囲気の世代でもありました。

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