藤江和子氏は槇文彦氏や伊東豊雄氏をはじめとする多くの建築家と協働し、単体の家具という枠を超えた家具を生み出してきた。デザイナーとしての第一歩を踏み出した宮脇檀建築研究室ではアシスタントとして多くの仕事に関わったが、実務の実力不足を痛感。自社工場を持つ会社に転職し、「デザインから制作までのリアルな作業」を体得する。(全3回のうちの第1回)

兄の藤江秀一氏と。磯崎新アトリエが設計した群馬県立近代美術館の増築工事(1994年)の頃(写真:安斎 重男)
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 武蔵野美術短期大学のデザイン学科を卒業して半年ほどウインドーディスプレーなどの仕事をした後、1969年に宮脇檀建築研究室に入りました。

 3歳年上の兄(磯崎新アトリエに長く務めた建築家の藤江秀一氏、1944~2016年)の影響もあって、建築方面には近しい意識を持っていました。兄の大学の卒業設計の手伝いもしましたし、家には六角鬼丈さん(現・六角鬼丈計画工房代表)、福永知義さん(現・槇総合計画事務所)などがしょっちゅう出入りしていたのです。「宮脇事務所がデザイナーを探しているらしい」という話も兄から聞きました。

 宮脇檀氏は、日本建築学会賞を受賞した「松川ボックス」(71年、78年)などの住宅や、銀行、商業スペースの設計を精力的に手掛けた建築家だ。同時に、軽妙なエッセイの書き手としても活躍した。藤江和子氏は、事務所を設立してから約5年という草創期の宮脇檀建築研究室に就職した。

 当時、家具デザイナーという職能はまだ確立しておらず、坂倉建築研究所や天童木工、百貨店装飾部などに家具をデザインする人がいたくらいという時代です。宮脇さんの事務所で私は、インテリアセクションを担当していた奥様の宮脇照代さんの下、建築の設計チームが設計した住宅や商空間のインテリア、家具のデザインなどを全部手掛けました。

 照代さんは企画力も実行力も備えた人で、今でいうプロデューサーでしょうか。コーディネーターやデザイナー、スタイリストなどの仕事をすべて1人でこなしました。私も、設計だけでなくディスプレーから撮影の準備などまで、アシスタントとしてひと通り経験することになります。「モダンリビング」などの雑誌や、企業の広報誌などに載せる説明文も書きました。

 初めて担当したのは、盛岡の「黄色い銀行」(秋田相互銀行盛岡支店、70年)の家具インテリアです。ほかにも銀行や商業空間、住宅「ボックスシリーズ」の造り付け家具やカラーコーディネートなど、いろいろやり、東北などあちこちの都市を飛び回りました。

 宮脇さんは手を動かすのが早く、しゃべりながらインテリアのイメージなどをどんどん絵に描いていきます。絵がとても上手なので、それでイメージはほぼ共有できました。あとは私が具体的な図に落とし込んでいきました。

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