「次長、すみません。折り入ってお願いがあります」

 あらたまった檜山の口調に、仁科次長は目を剥いた。

「檜山か。何だ急に。びっくりするじゃないか」

 檜山は、深々と頭を下げた。

「本日のデータセンター見学ですが、よんどころのない用事が入りまして、キャンセルさせてください」

「えっ? キャンセル?」

 仁科次長は、目をさらに見開く。

「よんどころのない用事って何だ? 障害か何かか?」

 檜山は、首を横に振った。

「じゃあ、別のお客様から呼び出しでもあったか?」

 檜山は、また首を振る。下手にごまかさず、正直にいこうと、もう決めていた。

「違います。実は…山科とキャリアプラン面談の約束があるんです」

 仁科次長は、顔をしかめた。

「面談ってお前、そりゃあ、社内の話だろう。今に始まったことでもない。何とか調整できないのか?」

「すみません。調整しようとしたんですが、客先の会議の関係で、山科の予定が空かなくて。私も初めての面談なので、きちんと時間を取ってやりたいんです」

 仁科次長は渋い顔をした。

「そりゃ、わからんでもないが。しかしなあ檜山、このデータセンターの見学も、営業が頑張ってくれて、やっと実現した大事な用事だぞ」

「はい、申し訳ありません」

「山科は、迷いがふっきれてよくやっていると、お前言ってなかったか? 何もそんなに面談に力を入れなくたって、普段から話をしていれば…」

 檜山はうなずいた。

「そうなんです。私もそう思ってました。でも、山科と同期入社の営業部のメンバーにちょっと話を聞いたところ、まだ完全にはふっきれてないみたいでして」

「そうなのか?」

「飲み会で言ってたそうです。上司やお客さんはよくしてくれるけど、自分の経験のなさが周囲の負担になってるようで気になる、と」

「なるほど」

 やや不満そうではあったが、仁科次長はうなずいた。

「それで、早いうちに面談で話をしておきたいってわけか」

「その通りです、次長。何となくですが、今が山科にとって大事な時期だと思います。面談を端折ろうと思えば彼も同意するでしょう。特に相談することはないとも言ってました。でも、こういうことは、なかなか部下の口からは言えないものです。そうでしょう?」

 娘の真実が自分では文句を言えないように、部下も自分からは切り出しにくい。つまらないことで上司を煩わせては、と思うからだ。

 それがこうじると、関谷グループ長の部下だった富永のようなことになりかねない。

 仁科次長は、檜山の顔をじろりと見た。

「顧客より部下を優先か。檜山、いつものお前らしくないな。ひょっとして、誰かと話をしたのか?」

「はい、あの、小山さんや関谷さんと少し」

 ようやくわかったというように、仁科次長は首をすくめた。

「なるほどな。先輩と話をするのは、悪いことじゃない。よし、じゃあ、お前は風邪を引け」

「は?」

「風邪だ。営業の手前、お客様に社内業務優先なんて言えるか? お前は体調不良だ。そう断っておく。わかったな」

 檜山の顔が、ぱっと明るくなった。

「はい、ありがとうございます」

 頭を下げた檜山に、仁科次長は質した。

「念のために確認するが、懇親会のほうもキャンセルだな?」

 檜山は一瞬、考えた。しかし、データセンターのある埼玉県は遠い。

「は、はい」

 さすがに、そっちは娘を風呂に入れるために、と正直には言えなかった。ひとり赤面している檜山に向かって、仁科次長は言った。

「そういえば、お前とも面談しなきゃならんのだったな。懇親会に来られれば、その後の2次会ででも、と思ってたんだが」

 檜山は戸惑った。正直、自分自身のキャリアプラン面談のことまで考えていなかったし、準備もできていない。

「は、はあ。ええと、いつもお話ししてますから、何かのついでで結構ですけど」

 仁科次長は吹き出した。

「そうはいかんだろう。来週、俺のスケジュールに予定を入れておいてくれ。1時間だぞ。今回はお前に賛成だよ、檜山。こういうことは、部下からは注文をつけにくいもんだから、上司がきちんと時間を取るようにしないとな。そうだろ?」

「その通りです。了解しました」

 檜山は、慌てて上司の席を離れた。何だか面倒臭いような気もしたけれど、悪い気分ではなかった。

 確かに、たまにはじっくり話せる時間を取るのもいい。部下に対しても、上司に対しても。

 そしてもちろん、家族に対しても。

 檜山は、娘と風呂に入る楽しさを思い出して、顔をほころばせた。

<挿絵:大久保 友博>

メンバーを評価する時の3つの心得

関谷 センター見学に仮病使って、面談の時間を捻出したんですって? 素晴らしいわね。正直見直したわ。

檜山 関谷さん、声が大きいですよ。このフロアには営業部もいるんですから。

関谷 もうバレてるんじゃない? 彼らは早耳だから。

檜山 脅かさないでくださいよ。冷や汗が出ます。

関谷 ところで、仁科さんには面接してもらったの?

檜山 それが、ドタキャンされちゃって。今夜あたり飲みに誘われそうな気がします。

1.ラインの仕事も手を抜かない

檜山 仁科さんのことはともかく、今回、関谷さんに言われてハッとしました。普段プロジェクトを見ていると、それ以外の仕事が雑用に見えてきちゃって。

関谷 いろいろあるのよね。社内の方針伝達とかチーム業績報告、棚卸し資産管理に交通費精算。仮勘定の管理とか、決算事務とか、その他にもウェブ勉強会とか。でも…。

檜山 部下のキャリアプランは雑用じゃないですよね。

関谷 業績報告や決算も、もちろんそうだけどね。特に人事評価やキャリアプランって、大げさに言えば人生設計に関わることでしょう。いいかげんにこなされたら、部下にとってはたまったものじゃない。

檜山 そうなんですよね。自分がどう評価されるか、今後どう成長していくのか、本人にとっては、とても大事なことだから。

関谷 どんな仕事にも意義があるんだから、私たちは「こなす」とか「ながす」とかいう意識でいてはいけないのね。

2.部下との時間は自分から作る

檜山 だけど、なかなか時間が取れなくて。

関谷 それは、取れないんじゃなくて、取らないだけよ。お客様と違って、部下は自分から文句を言わないから。

檜山 あいた。そうなんですよね。娘はまだ、しゃべれないから。

関谷 えっ?

檜山 子どもと過ごす時間は、父親の方が作らなきゃいけない。それと同じですよね。

関谷 何だか話が変わっているような…。よくわかんないけど、たぶんそうなんでしょうね。

檜山 今回、よくわかったような気がします。あのびっくりしたような娘の顔をみると、いやもう、たまりません。

関谷 はあ?

3.飛び込みに振り回されない

檜山 とは言っても、今回のように、飛び込み作業に振り回されることって、ありますよね。

関谷 急に飛び込んでくる話って、緊急性が高いような気がして、ついつい優先しがちなのよね。本当に優先度が高いのかどうか、落ち着いて考える必要があるわ。ジェントルマンは、よほどのことがない限り先約優先だって話を聞いたことがある。国家元首から誘いがあっても、友人との先約を優先するんだって。

檜山 それだけ、いったん約束した相手を大事にするってことですね。ただ、本当に緊急の場合には、先約変更もやむを得ないのでは?

関谷 そうね。約束は約束だから、浮足立たずに重要性を考えろってことだと思うわ。今度の場合だって、結局センター見学のほうは、檜山さんでなきゃダメってほどじゃなかったんでしょ。

檜山 振り回されずに冷静に判断しろってことですね。確かに、面談とお風呂は、私でないと駄目だったという意味で…。

関谷 お風呂?

小浜 耕己(おばま こうき)
スミセイ情報システム PMO部 統括マネージャ
住友生命保険で情報システムの開発とプロジェクト管理に従事。スミセイ情報システムに出向後、品質マネジメントシステムを担当し、全社PMOチームの立ち上げに携わる。サラリーマン稼業の傍ら小説家の顔も持つ。高校時代に書き始めて就職後にデビューした。SF、ミステリー、ホラー、ファンタジーなどフィクションの著書多数。日本SF作家クラブ会員、日本文藝家協会会員。
出典:「ストーリーで学ぶプロマネの心得 プロマネ檜山の奮闘録」(日経BP)の「エピソード16 面談」を改題
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