これまで70を超える建築賞を受賞してきた新居千秋氏。日本建築学会賞作品賞、JIA日本建築大賞、吉田五十八賞など、数え出したら枚挙にいとまがない。これだけの実績があれば、自然と自分に自信を持つこともできるだろうが、当然、最初は何も賞を取っていなかった。しかし、新居氏は早々にその才能を発揮し、そして見いだされ、自信に満ちた駆け出し時代を過ごした。(全3回のうちの第1回)

新居千秋氏(写真:花井 智子)
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 僕の祖父は東急電鉄の社長でしたし、父も三井物産の部長でしたから、子どもの頃は、あまり苦労をしていません。

 経済的には恵まれていたのですが、中学、高校くらいには、辛いこともありました。僕の弟やいとこはみんな優秀で、新宿高校、日比谷高校、開成高校と、東京大学に進学するようなところに通っていましたから、僕のように普通の高校に行っていると、劣等感がありました。

 また、女性みたいな名前(千秋)だということもあって、学校でいじめられることもありました。成績が急に下がったりすると、まわりも助けてくれず。28発くらい殴られたこともありましたよ。今だったら、大変な事件です(笑)。

 歴史、美術、数学はかなり得意だったのですが、なにぶん英語の成績が悪かった。100点満点のテストで5点を取ったこともあります。

 もちろん、今もコンペで負け続きのときは辛いのですが、このときが生涯で一番辛かった気がします。のんびりした付属高校なので、バランスが保てました。

新居氏は、武蔵工業大学付属高校を経て、武蔵工業大学(現・東京都市大学)工学部建築学科に進学した。そこから、人生は好転。自信を取り戻した。

 子どもの頃、鼓笛隊としてオープニングに参加した東京文化会館(設計:前川國男)で、建築家になることを決めました。

 前川國男や、高校の頃によく行っていた日生劇場の設計者である村野藤吾に憧れて、建築学科を選びました。確か当時、武蔵工業大学は受験倍率が48倍もあり、私立では早稲田大学の次に難関でしたので、すごく優秀な人たちがいるのではないかと思っていました。けれども、蓋を開けてみたら、1年生のときの成績が10番以内に入っていました。

 「なんだ、そんなに優秀な人はいないんだ」と安心しました(笑)。自信を取り戻せたんです。栗生明や高松伸がいる世代ですから、東京大学や早稲田大学に行っていたら、きっと簡単には自信を持てなかったと思います。

 このことで、僕は嫌なことがあっても「諦めずに我慢する」ことの大切さ、そして自分が置かれた環境のなかで1番を目指すことで、自信を持てることを学んだのです。

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