2018年3月22日号の特集は、四半期に一度掲載している住宅特集です。今回のテーマは「プラン研究 縮小時代の『開き方』」です。

[画像のクリックで拡大表示]

 特集の前書きを引用します。

 「少子高齢化や人口減少が進展し、住まいの在り方が問われ始めた。地域のつながりは薄れ、孤独死などの社会問題も取りざたされている。家族の『自助』を前提に大量供給された核家族向けのプランには寿命が来ている。これからの住宅はどのように開いて、街とのつながりをつくればいいのか。既存の間取りにとらわれず、街との関係づくりを図る事例を集め、プランを読み解いた」

目次

 間取りは住宅設計の核心であり、永遠のテーマです。住まい手や敷地に対する個別の解決策なので、共通解はありません。それでも日本の住宅史を振り返ると、大きな流れとして「閉じる間取り」が幅を利かせている時期と、「開く間取り」が圧倒的多数を占める時期があることが分かります。

 筆者は4年ほど前に住宅特集を担当した際、「成熟日本の『脱・内向き』プラン」というタイトルで戦後住宅の「間取り史」を振り返りました(2014年9月25日号掲載)。戦後の住宅に大きな影響を与えたといわれる「51C」(1951年度公営住宅標準設計C型)から、戸建てのような集合住宅「森山邸」(2006年、設計:西澤立衛)まで、5人の識者に取材してエポックとなる住宅を年表にし、社会背景を交えて分析しました。

2014年9月25日号特集内の「成長期の間取り攻防」の冒頭ページ
[画像のクリックで拡大表示]

 自分で書いておいて何ですが、この特集の1970年代に関する分析が、今回の特集につながる背景としてちょっと面白いので、引用します。

 70年代の住宅には2つの変化が見て取れる。1つは建築家が手掛ける戸建て住宅の「自閉」だ。白井晟一氏の「虚白庵」(70年)を皮切りに、安藤忠雄氏の「住吉の長屋」(76年)、伊東豊雄氏の「中野本町の家」など、外部と内部を明確に遮断した住宅が建築界で話題となった。

 この時代に閉鎖的な住宅が増えたことについて(建築史家で建築家の)藤森照信氏は、「前の世代の建築家が『社会』をテーマとした結果、表現の危機に陥った。例えばメタボリズムがそう。自分たちはそれとは違うということを示すには、いったん社会と切らざるを得ない。それで自閉した」と分析する。

 70年代のもう1つの傾向は、1住戸の居住想定人数の変容だ。戦後の住宅のほとんどは、核家族を想定して提案されてきたが、72年、現在のワンルームマンションの原型ともいえる「中銀カプセルタワービル」(設計:黒川紀章)が完成する。同ビルは住戸単位で内外装や設備をユニット化し、将来、住戸ユニットごと交換できるように計画した。

 一方で、親世帯と子世帯が1つの家を建てて暮らす「二世帯住宅」という名称もこの頃に生まれた。二世帯住宅は、75年に旭化成ホームズが発売した住宅のシリーズ名だった。建築家で日本女子大学教授の篠原聡子氏は、「極限まで縮小されてしまった家をどう再編するかという模索が当時から始まった」とみる。(ここまで2014年9月25日号特集から引用)

 開く・閉じる、ワンルーム、二世帯といった今風のテーマが70年代から論じられていたことが分かります。

 この頃の社会背景と現代とで大きく違う点を挙げると、「人口減」と「環境配慮」でしょう。そうした住宅の歴史を踏まえたうえで今号の特集を読むと、これからの住宅プランのヒントがより見つかりやすくなるのではないかと思います。

3月22日号特集で紹介している「五本木の集合住宅」(設計:仲建築設計スタジオ)
[画像のクリックで拡大表示]

 おっと、終わりそうになってしまいましたが、住宅プランに関連してもう1つ。「材料」も、今後の住宅プランを変え得る大きなファクターです。特集とは別の記事になりますが、特別リポート「聞かせて!『CLT』の使い勝手」もお見逃しなく。

[画像のクリックで拡大表示]
出典:日経アーキテクチュア、2018年3月22日号
記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。