名古屋では名駅(めいえき)と呼ばれ親しまれている名古屋駅。今、2027年のリニア中央新幹線開通へ向けて盛り上がりを見せている。駅周辺地区の再開発、街の再整備が目白押しだ。名古屋駅は、これからどのように進化していくのか。3回シリーズでお届けする。初回は、これまで名古屋駅は、どのような役割を果たしてきたのかに迫る。開業以来124年の歴史的変遷を、名古屋工業大学大学院の伊藤孝紀准教授にまとめてもらった。(ケンプラッツ)

 名古屋駅地区(以下、名駅地区)は、名古屋市中村区、西区、中川区の接点に位置している。1886年に現在よりも南方約200mの位置に開業し、1937年に駅の拡張に伴って現在の位置に移設された。

 現在では、日本の鉄道の東西幹線にあたるJR東海道本線、JR東海道新幹線に加え、JR中央線、JR関西線、名鉄本線、近鉄名古屋線、地下鉄東山線、地下鉄桜通り線、あおなみ線(名古屋臨海高速鉄道)など多数の路線が乗り入れる。新幹線を利用すると、品川まで1時間36分、新大阪まで51分、セントレア(中部国際空港)まで28分と、全国へのアクセスに有利な立地条件を有する。1日の乗降人数が約57万人の中部地方最大のターミナル駅だ。

1886年に開業した「名護屋駅」

 名古屋駅の駅舎の移り変わりに着目すると、その変遷は、時代とともに3期に分けてとらえることができる。1886~1936年の約50年間が第1期、1937~93年の約55年間が第2期、1994年以降が第3期だ。

 現在とは字が違う「名護屋駅」は1886年5月1日に開業。その位置は、いまの駅よりも約200m、南へずれていた。駅舎が建ったのは芦や葦の生い茂る田圃地で、沼が多くさびしいところと記録されている。駅舎は木造平屋建てで、間口10間、奥行き5間ほど。ホームの延長は上下線で20間ほどだった。

 初代の駅舎は1891年10月28日の濃尾大震災で倒壊した。2代目の駅舎は、1895年頃の平面図と残された当時の写真とを合わせて想像してみると、初代に比べ上下線ホームが広くなり、初代の駅舎にはなかったホーム上屋や跨線橋がつくられたようだ。その後、1900年に中央線が東海道線の東側に増やされ、東海道線上りホームを共用することになった。1907年には関西鉄道の国有化によって関西線のホームが新設され、構内配線の原型ができあがった。しかし、その間に貨物取り扱い量の増加によって仕訳線が分散し、貨物受容に多大の不便が生じるようになった。そのため、現在の名古屋駅の位置へと移転を決める。

 名古屋港から笹島駅を結ぶ中川運河は、この時期に完成した。同じ頃、名古屋市電も開通している。新路線や市電の開通などによって、名古屋駅は徐々に交通拠点としての性格を強め、その機能が飽和してしまった。それが、1936年までの第1期の駅舎の特徴といえよう。

1906年の名古屋駅の様子(写真:名古屋市)

ここからは有料会員の登録が必要です。