イラスト:ニシハラダイタロウ
[画像のクリックで拡大表示]

 開発という行為は、今まではなかった新しい事業や新しい商品を創ることである。既存事業や商品を改善したり、改良したりしただけなのに開発という人もいるが、それは違う。本当の開発とは、全く新しいモノやコトを創造するのである。

 それなのに、どこかで新しい事業や商品が出現すると、一斉に同じようなモノやコトが雨後の筍のように出てくるのが世の常である。情けないと思うが、それは本能とも言えることだ。赤信号を皆で渡れば怖くないのと同じで、それを私は「集団的類似開発症候群」と言っている。

 赤信号なのにそれを渡ってしまうのだから、多少の罪悪感はあるものの、それを認識していながら渡るのは、失礼ながら、集団的自衛権の個人版みたいな話。他もやっているから自分も同調して大丈夫という論法だ。

 中には、同じようになってしまうのは時代の流れで、多くの顧客がそれを待ち望んでいるからと、まるで開き直りのような理論構成をする人もいる。確かに、結果はそうかもしれないが、ほとんど同じものが出てくること自体、創造とは程遠い。

 私は思うのである。本当の開発におけるテーマ決めで一番大事なこと、それは、比類なきこと、ではなかろうか。

 先に書いた集団的類似開発症候群に罹った開発マンのすることは、よく見ると、ちょっとの改善・改良をしているのである。イサギヨシとは言わないが、そこに彼らの良心(罪悪感の裏返し?)があるわけで、丸ごとそのまんまをコピーしているのではないのだ。

 しかし、そこにあるのは先行している事業や商品と比較して、少々、あるいはかなりの差を付けようとしているのはミエミエで、中には先行事例を詳細に分解調査して、開発しようとする製品に付加価値(?)を付けようと、比較して参考にする人が多いのである。

全く新しいモノやコトを創るのが開発

 よく、ベンチマークは○○と、事も無げに言う開発マンがいる。続けて、それよりも弊社の製品はここがよい、と自慢げに言うのは、比べてナンボというだけではなかろうか。

 それを自慢げに話すのだから恐れ入るが、本当にそれでよいのか。それが本当の開発なのであろうか。

 さて、お若い(40歳)のに、産業医として活躍している先生の話を聞いて、まさに我が意を得たりと思うことがあった。

 その先生とは、現代社会において大きな問題になっている、ビジネスマンのメンタルヘルスに取り組み、多くの成果を挙げている、とても素敵な女性医師である。具体的言えば、うつ病に罹ったビジネスマンを、ほぼ100%の患者さんを職場復帰させるという、何とも凄い女医さんだ。

 その先生が言われるのである。自分が考えた治療法は、従来にはなかった手法であり、医療の世界からは非常識と言われることもある。しかし、それは当然で、今までの治療法では治らなかったから、従来とは違う療法を考えるしかないのであり、そこで自分は、従来の療法を参考にしようとか、他人の文献を読むことを全くしなかった。自分は、自分の考えたことだけを整理して、それを体系化しただけのこと。何かと比べたり、参考にすること自体を排除しなければ、新しい治療法を開発するなんてできません。と言われたのである。

 いかがだろうか。開発とは、比類なきことに挑戦することである。

 既成概念に囚われず、既存・従来と比べずに、全く新しいモノやコトを創るのである。

 えっ、この話、素敵な女医さんだから書いたのではないかって?

 冗談じゃない。そりゃあ確かに比類なきほど素敵な先生だが…。

 いやいや、そうじゃない。先生のお考えが凄いのだ。私情はない。キリッ!

出典:日経テクノロジーオンライン 2016年11月17日公開
記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。