国内既存市場の小さくなったパイを分け合うことの限界が見え、政府も企業も「成長戦略」を描き始めた2010年。成長戦略が必要なのは、技術者個人も同じだ。土木技術者から政治家に転身して50歳で大臣に駆け上がった馬淵澄夫国土交通相は、どのようなキャリアプランを描き、実行してきたのか。日経コンストラクションの単独インタビューに応じた。

日経コンストラクションの単独インタビューに応える馬淵澄夫国交相。国会答弁や定例会見での硬く厳しい表情とは打って変わり、時折笑みを浮かべながら質問に答えてくれた(写真:山田 慎二)
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──土木を志したのはなぜですか。

 田中角栄元首相にあこがれて、土建屋になって政治家になろうと思っていましたから。

──初めから政治家になるのが目標だったと。

 そうです。土建屋になって金もうけして、政治家になろうと思った。だから、迷わず土木を選びました。

──大学卒業後、三井建設(現在の三井住友建設)に入社してどんな仕事をしたのですか。

 本社の土木技術部と技術研究所の行き来でした。私は、大学時代は土質を専攻しましたが、会社ではコンクリートを担当しました。パンチングメタルを使ったコンクリートや、アラミド繊維を使ったコンクリートの開発などに取り組んだ。私、論文も書きましたから。

──政治家の道につながらないような気がしますが。

 全然つながらない。5年間、そんなことをやっていました。土建屋で独り立ちできそうにない。結局、三井建設を辞めて、大阪にある小さな工務店に入りました。草刈りや運転手などいろいろしているうちに会社のオーナーに認められて、商売の勉強をさせてもらった。この会社が大きくなり、上場会社を傘下に収め、私はそこで役員になりました。

 そして、39歳でやっと選挙に出られるまでになった。自分の計算では30歳代で国会議員になりたいと思っていたので、ギリギリでした。しかし、結果は落選。初当選は43歳です。ちょっと遅れましたね。

──では、現在の土木技術者へのメッセージは特にないという感じですか。

 そんなことはない。大学を出て5年間、技術者としてものの考え方を徹底的にたたき込まれました。工学的にどうなのか、客観的、論理的に矛盾はないのかと。

 一番大きいのは、工程全体をふかんする力が求められたことです。工程全体をふかんしてボトルネックを抽出しながら、プロジェクトを進めていく。その仕事の仕方は土木技術者として学びました。土木技術はまさにシビルエンジニアリングで、人が生活していくうえで必要な様々なエンジニアリングをつかさどる分野だと思っています。

 当時の構造計算なんかは忘れました。それ自体は今となっては何の役にも立たないかもしれないけど、物事を論理的に考えて何が大事かを見極める力は、土木技術者として養われたものです。

──そういう能力があれば、土木技術者は変われると。

 もちろん。他分野に行けとは言いません。でも、こういう能力を身に付けられる学問や技術の世界はそうそうない。ものすごいゼネラリストを生み出す世界だと思う。

 だから、長大橋のような大プロジェクトができる。虫の目と鳥の目の両方を身に付けられる世界です。やって良かったと思います。土木技術者の皆さんは自信を持ってほしい。

──先の目標は総理大臣ですか。

 当然です。

馬淵澄夫 まぶち・すみお
1960年生まれ。84年に横浜国立大学工学部土木工学科を卒業後、三井建設(現在の三井住友建設)に入社。事務用品会社役員を経て2003年11月に衆議院議員初当選。09年9月に発足した鳩山内閣で国土交通副大臣就任。10年9月から国交相に就任し、内閣府特命担当大臣(沖縄および北方対策)を兼務
出典:日経コンストラクション 2010年12月24日 「自分」成長戦略
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