開発の正式契約が1970年3月に結ばれ、4月7日に私一人でインテルを訪問した。正式契約では2人の論理回路設計者が雇われる計画だった。したがって、今度の訪問目的はインテルが設計している論理回路図の確認であった。かなりの進ちょくを期待して、インテルを訪問した。

 ホフは新しい回路設計技術者であるファジン(Federico Faggin)というイタリア人技術者を紹介して、「後は彼が担当するから」と言い残して、休暇を取ってしまった。拍子抜けしたばかりでなく、何か不吉な予感が頭を横切り、あっという間に期待が不安に変わった。

 ファジンに聞くと、「私は2日前にフェアチャイルドからインテルに入社したばかりで何も知らない」と言う。少し強い口調で、「設計図を見せてくれ」と問うと、「何もない」と言う。本当に1枚の図面もなかった。設計は全く進行しておらず、仕事の引き継ぎに関してもメイザーからの簡単な説明以外は全くなされていなかった。メイザーからの説明の翌日に私が訪問したとのことである。

 契約書では2人の技術者を雇うことになっていたが、4ビットのコンピュータということで、誰にも興味を持たれず、論理回路設計者を雇うことができなかったらしい。正式な契約が遅れたせいかもしれないが、なんて不誠実な会社だと思い、“激怒しない客がいたら見たいものだ”ぐらい、かなり強い口調で抗議した。今でも、「嶋が激怒した」と言われ続けている。渡米前に知らせてくれれば、なんとしてでも準備して渡米したのにと、残念で仕方がなかった。

 3月20日にノイス宛に送った手紙の内容は誰も知らない振りをしていた。ファジンは知らなかっただろう。

図1●ファジン博士と私
(米国でのマイクロプロセッサ・フォーラムにて)
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