今回の「イノベーションの幸福学」のゲストは、イノベーション研究で有名な経営学者、一橋大学名誉教授の米倉誠一郎さん。2017年に一橋大学を退官した後も、同大学や法政大学で教壇に立ち、様々なNPO活動などで活躍を続けている。本コラムのホストである慶應義塾大学大学院の前野隆司教授は、「おつきあいは長いが、実は共通項であるイノベーション研究について語り合ったことがない」という。日本にはイノベーションという言葉への誤解がはびこっている——。2人の対談は、そのことをひも解くところから始まった。
前野教授(左)と、一橋大学名誉教授の米倉さん(写真:加藤 康)

イノベーションは、絶えざる新しい組み合わせ

前野 「イノベーション」には様々な捉え方があります。僕が研究しているデザイン志向のように「何かのプロダクトやサービスを創りましょう」という話と、米倉さんが手掛けているイノベーション論の研究には共通する部分と異なる部分がありそうです。今日の対談では、まず、そのあたりが分かるといいなと。

米倉 面白いですね。一橋大学が「産業経営研究所」から「一橋大学イノベーション研究センター」と組織名を変えたのは1997年、今から20年ほど前のことです。当時、「イノベーション」という言葉はあまり使われておらず、国立大学で正面から組織名に冠したのは我々が最初だと思います。

 一橋大学には野中郁次郎さん(現・同大名誉教授)という知識経営の大家がいまして、ある日のこと「米倉くん、今日は豊かな暗黙知を共有しに行こう」と誘われたんです。簡単に言えば「酒を飲みに行こう」ということなのですが(笑)、その時に「産業経営研究所の名称は、あまりかっこよくないですね。これからはイノベーション研究でしょう」と話したら、「そうだな。確かに一橋は文系だから、特にそれは重要だ」と野中さんはおっしゃった。それが組織名を変えるきっかけの1つになりました。

前野 「文系にとって特に重要」というところにポイントがありそうですね。

米倉 イノベーションの原典とされる『経済発展の理論』を記したヨーゼフ・A・シュムペーターは、イノベーションの例を「ニュープロダクト(新しい財貨の生産・販売)」「ニュープロセス(新しい生産方法の導入)」「ニューマーケット(新しい販売先の開拓)」「ニューマテリアル(原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得)」「ニューオーガニゼーション(新しい組織の実現)」という5つに分類しています。これらを実現する、絶えざる「ニューコンビネーション(新しい組み合わせ、新結合)」がイノベーションだと。

 つまり、イノベーションにとってテクノロジーは大切なポイントではあるけれども、それだけで成り立つわけではない。イノベーションは非常に幅広い概念であると言っているわけです。

前野 なるほど。確かに、とても幅が広いですね。

米倉 ところが、日本ではイノベーションという言葉を「技術革新」と訳してしまうことが多かった。そのため、イノベーションの議論で技術の話に重点を置くようになってしまいました。ちなみに中国では、イノベーションが「創新」と訳されているんです。「新しいものを創る」なんて、ちょっとセンスがありますよね。

前野 イノベーションは、必ずしも技術革新とは限らない。

米倉 「馬車を何台つないでも機関車にはかなわない」というシュムペーターの言葉があります。確かに時速10kmで走る馬車を10台つないでも時速100kmの機関車にはなりませんから、テクノロジーによるイノベーションは大事ということでしょう。ただ、一方で彼は、テクノロジーと同じように、例えば「銀行における信用創造はとても大事だ」とも語っています。

前野 新しい技術の開発と、金融機関の信用の構築は同じ土俵の上で論じるべき対象だということですか。

米倉 全くそうなのです。要は新しい価値の創造です。信用について最近の例で考えると、米国シリコンバレーではビジネスのアイデアを提案する際、「ソーシャルメディアの友達と「いいね!」の数を持ってこい」と言われるそうです。

前野 ソーシャルメディアの「いいね!」の数で、その人の信用を評価するというわけですね。