今でこそLANの盟主のような存在のイーサネットだが、初めから今の地位にいたわけではない。ライバル達が群雄割拠する戦国時代を勝ち抜いてきたのだ。

イーサネット発展史
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 イーサネットが発明されたのは1973年。米ゼロックスのパロアルト研究所(PARC)の研究員だったロバート(ボブ)・メトカフ氏がイーサネットの基本原理「CSMA/CD」を考案し、さらに「イーサネット」と命名した年である。

 同氏はPARCに来て、「ALTO」という先進的なコンピュータ向けのLAN技術の開発を任された。実現手法を模索するなか、同氏が注目したのはハワイ大学教授のノーマン・エブラムソン氏が開発した「ALOHAシステム」という無線パケット通信システムだった。

 メトカフ氏はALOHAシステムの仕組みをALTO向けのLAN技術に応用することにした。まず無線ではなく、同軸線による有線接続を採用した。さらにALOHAシステムのアクセス制御に改良を加えCSMA/CDを開発した。

 こうした経緯からイーサネットは当初、ゼロックスが独自開発した私有技術だった。そこに米インテルと米ディジタル・イクイップメント(DEC)が加わり、イーサネットの普及を進めることになった。これら3社は頭文字をとって「DIX」と呼ばれ、DIXによって作られたイーサネット仕様は「DIX規格」と知られるようになった。DIXは1980年、最初のイーサネット規格「Ethernet Version 1.0」を発表した。

強敵はIBMが推すトークンリング

 DIXがイーサネットの仕様を詰めている間、米国の標準化団体であるIEEEでも動きがあった。LAN技術の標準化のために、「802委員会」が設立されたのである。

 LANの標準技術候補としてDIXはイーサネットを提出した。ほかにもトークンリングとトークンバスが候補に挙がった。特に米IBMが推すトークンリングは強力なライバルだった。

 トークンバスは主に工場向けだったので、企業用途ではイーサネットとトークンリングの一騎打ちの様相を呈した。IBMがトークンリング製品の出荷を始めた1986年当初、イーサネットに比べ低速で価格が高いにもかかわらず、急激にシェアを上げ始めた。その理由の一つは、より対線による既存の配線をそのまま活用できたからである。

 ところがイーサネットにも同じようにより対線を使う新仕様「10BASE-T」が登場すると、安価で高速、かつ互換性のある端末やネットワーク機器が多く出回っているイーサネットはがぜん有利となった。

 イーサネットが100Mビット/秒に対応する頃、新たなライバルが現れた。米ヒューレット・パッカードなどが推進する「100VG-AnyLAN」だ。伝送速度は同じだが「デマンドプライオリティ」という新しいアクセス制御方式を採用した。スイッチがフレームの送信権を管理することで、トラフィックが増えてもスループットが低下しないことが売りだった。

 IEEEでの議論は紛糾し、最終的には100VG-AnyLANは802.3に取り入れられず、802.12という別規格となった。ユーザーは802.3ではない100VG-AnyLANをイーサネットとはみなさず、普及には至らなかった。

 同じ頃、もう一つの強力なライバルが登場した。ATMである。登場した1990年代初頭、ATMは支持を集め、すべてのネットワーク技術はATMで塗り替えられるという論調さえみられた。当然、LANにもATMを活用しようという動きがあった。

 ところがATMはLANで使うには複雑過ぎるという課題があった。特にブロードキャストや名前解決の仕組みである「LANエミュレーション」では、特殊なサーバーを別途用意する必要があり、ほとんど導入されなかった。

 1990年代後半には、LAN技術の標準としてイーサネットの地位は確立され、その後はイーサネットの独壇場だった。

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