1999年(平成11年)、いわゆる「2000年問題」により社会全体に緊張が走った。政府や企業、官公庁のIT担当者は1年を通じて対応を強いられた。

航空大手と運輸省は9月に2000年を模擬的に迎えてコンピュータシステムの動作を確認するデモンストレーションを実施した。
写真:ロイター/アフロ
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政府はピーク時2000人の危機管理体制

 プロ野球の西武ライオンズの松坂大輔投手が初登板で時速155キロメートルの速球を披露、観客の度肝を抜いた1999年。年の瀬の12月を迎えると政府のテレビCMが頻繁に流れ出した。「コンピュータ西暦2000年問題」(以下、2000年問題)対策の一環だ。

 「万が一の場合への備えが重要です」。小渕恵三首相(当時)はこう語りかけ、防災用の水や食料の備蓄と、不安につけ込む悪質商法への注意などを呼びかけた。

 西暦の下2桁だけを管理するプログラムは2000年になったときに「1900年」か「2000年」か判別できず、誤動作する可能性がある。これが2000年問題だ。年が変わった瞬間に電力やガス、交通機関などの社会インフラ、銀行の勘定系システムや決済ネットワーク、電話や通信のネットワークなどに大きな事故や混乱が生じるかもしれない──。不安にかられた世界のIT関係者が緊張の一瞬を迎えようとしていた。

 国内ではJRや私鉄各社が2000年を迎えるタイミングで列車を最寄り駅に停車させる特別ダイヤを組んだ。航空会社の一部は年をまたぐフライトの欠航やスケジュールの変更を決めた。政府は年末年始に内閣と関係省庁でピーク時2000人の危機管理体制を敷いた。

対策進むが不安を一掃できず

 2000年問題は日付を扱うシステムに例外なく関係する。問題の解消に向けて、企業は早い段階から基幹システムの刷新やプログラムの改修に取り組んだ。様々なシステムに影響が及ぶため、対策漏れによる重大な事故の可能性が指摘されていた。政府は1998年9月に「コンピュータ西暦2000年問題に関する行動計画」を決めて対応を本格化しており、IT業界は2000年問題対応一色となった。

 日本銀行は1999年4月、2000年問題の危機管理計画を公表した。電源や通信など設備のチェックを年明け直後に始め、営業開始日の4日に業務ができない場合は手作業でこなす方針を決めた。処理に必要な全てのデータは年内の最終営業日に紙に出力しておく。年末に例年より多くの現金が引き出される状況に備えて、約40兆円分の銀行券を備蓄すると表明した。

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