世界にネットワークが広がるエンジニアリング事務所、アラップ。1990年代初頭にアラップが東京事務所を開設した際、初めての日本人エンジニアとして採用したのが小栗新氏だ。入社数カ月後、実務も英語も経験不足のままロンドン事務所に赴任する。リチャード・ロジャースなど最先端の建築事務所と協業する環境のなかで、必死に英国の設計流儀を学んだ。(全3回のうちの第1回)

小栗新氏。学生時代は建築生産を研究。研究室では助手の浦江真人氏(現・東洋大学教授)が当時雑誌に連載していた東京都庁舎の工事プロセスの取材の手伝いや、工場見学記の下書きなども手掛けた(写真:鈴木 愛子)
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 東京大学では坂本功先生と松村秀一先生の研究室に所属し、建築生産の研究をしていました。

 当時はバブル経済の末期に当たり、外国人タレントのような扱いの建築家やデザイナーが来日して数多くの建築を設計しては去って行っていた時代でした。異なる文化がぶつかり合うインターフェースで起こっている事象を通して、日本の建築業界の特殊性が見えてくるのではないか。そこに興味を抱き、京都大学の古阪秀三先生(現・立命館大学客員教授)にも助言をいただきながら建築生産組織に関する修士論文をまとめました。

 いま振り返ってみて、以来そうした「国境越え」の場で仕事をしてきているのは、当時の刷り込みの影響があったのかもしれないと感じます。

 小栗新氏は当初、大手建設会社や組織設計事務所への就職を考え、活躍する先輩の話を聞いて回った。しかし、「たった1回の人生なのに、先輩たちが築いたキャリアと同じ道をたどるのは面白くないのでは」と感じ始める。そんな折、アラップが東京事務所を開設して新卒を採用するという情報を得て、「ものは試し」と面接を受けた。

 当時はジョン・バチェラーが東京の代表で、そのほかに英国人の構造エンジニア1人と日本人秘書が1人という陣営でした。業績次第でいつ日本市場から撤退するとも知れない外資系弱小事務所というところに引かれました。自身の頑張りが組織の成功と直結するという感覚です。

 また国内にそれほど仕事があるわけではないので、採用されたらロンドン本社に数年修行に行ってもらうことになる、という条件も、それまで欧州を訪れたことがなかった私には魅力的でした。後にその物見遊山気分を後悔することになります。

 後日バチェラーに聞いたのですが、好景気なのに売れ残っている学生はよほどの問題を抱えているのだろうと、面接前は乗り気ではなかったとか。また、採用試験での構造解析問題の出来はかんばしくありませんでした。候補者としての私の唯一の見どころは、面接の翌日に修正した解答をファクスで送りつけてきた図々しさだったそうです。

 こうした、ある意味で牧歌的な経緯を経てアラップに採用されました。公平性を重んじる昨今であれば許されるはずもありませんが、他の応募者がほとんどいなかった創成期ならではですね。

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